アパート 管理の重要性を確認
まず、「金利水準が非常に低い中で、デフレの傾向が場合によっては出てきている非常に危険な状態」とデフレ懸念を強調した上で、この先、物価がさらに下がり実質金利が上昇すると、「政策金利の引き下げを含めた色々な金融緩和策を考えていく余地が広がると判断している」と、追加利下げの可能性に触れた。
追加利下げ効果への疑問に対しては、「仮に○・五%の公定歩合を○・三%に下げた場合に、どれくらいの効果があるかという点では『疑問の余地なしとしない』ということかと思う。
それでもそういう政策をやってみざるを得ない局面になるかもしれない」。
その後、数カ月後に政策委がとった行動を予この発言は、N銀マンたちの間に、微妙な波紋を投げかけた。
「失敗」の一回目は狂乱物価と言われた一九七○年代初めの物価高騰期。
二回目が八○年代後半のバブル期。
Uは、会見というよりも手慣れた講義のように、記者たちに説明した。
「いずれも金融緩和を、長い期間続け過ぎたためだ。
そうなった理由は、大抵の場合、経常収支の大幅黒字の発生←円高←内外からの内需拡大要求←金融緩和圧力となる」両時期とも、こうした緩和圧力が政治、あるいは大蔵省などを通じてN銀にかかったことで、N銀の政策スタンスが金融緩和から引き締めに転じるタイミングが遅れ、インフレやバブルが起きた。
金融学者として当然の認識である。
こう説明した上で、Uは身を引き締めた。
「今後はこういう間違いを犯さないような配慮が重要だということ、制度的にもある程度の独立性が担保されたので、間違いを犯さない可能性は高まっているとは思うが、それは私どもの今後の努力次第である」。
N銀マンになった自戒の言葉だ。
もう一つ。
初会見でUは「N銀の失敗」に言及した。
九七○年以降を見た場合、N銀の金融政策ははっきりしているという意味で、二度大きく間違えていると思う」しかし、Uが断言した「二つの失敗」は、N銀内では必ずしも「失敗」とは位置づけられていない。
「二つの失敗」七○年代初めのNは、六○年代末の大幅黒字から、七一年のニクソン・ショックを経て円切り上げ、円高の流れとなる。
政府・N銀は円高不況への懸念から、金融緩和と減税、さらに田中角栄首相の『日本列島改造計画』による積極財政を打ち出した。
内からの内需拡大の声に応じた形だ。
金融緩和は六次に及び、七○年十月の六・一五%から七一年六月の四・二五%まで合計一%下がった。
その後、景気過熱感が出てきたため、N銀は七三年一月に預金準備率を引き上げて引き締めに転じ、同年四月から十二月までの短期間に五次にわたって公定歩合を引き上げた。
公定歩合は九・○%と倍以上になった。
だが、同年秋に起きた石油危機の影響も加わって、インフレは加速、狂乱物価に至った。
N銀自身のこの間の政策評価は、七二年までの金融緩和を「円切り上げ後の新局面に対処して、景気の早期回復を促進し、併せて金利全般の低下傾向を加速することにより、内外短資異動の調整を図った点で、内外均衡の同時達成を目指したもの」と位置づけている。
一方、七一年以降の引き締めは、「一連の政策効果が十分に浸透しない段階で石油危機が発生したため、インフレ心理に拍車がかかり、仮需的行動も加わって『狂乱物価』と呼ばれる異常インフレ状態が現出するに至った」と政策効果の限界を認める。
つまり、最初は内需対策に備えて対応していたが、そのうち過熱気味になったので、迅速に引き締めたものの、石油危機のせいで力及ばずだったとなる。
「失敗」がないとまで強弁しはしないが、石油危機という不可抗力があったので仕方ないとの感じ。
これに対して、学界の通説は次のようだ。
「七三年秋に生じたオイル・ショックに先立つN銀による過度の金融緩和がインフレーションを発生させたのであり、オイル・ショックはそれを悪化させたにすぎないというのが事実である」。
当時の「過度の金融緩和」の背景には、多分に政治圧力があったと思バブル発生の評価八○年代後半のバブルも同様。
N銀は五次にわたって利下げに動き、公定歩合は当時としては歴史的な低さの二・五%まで下がった。
八五年九月のプラザ合意によるドル高是正を優先し、「(N銀は)政策運営に当たっては、為替相場重視の姿勢で臨んだ」その後、八七年二月のルーブル合意後、N銀はマネーサプライが急伸するなどの状況から、「為替相場重視の政策スタンスから金融緩和基調は維持しつつも、より物価面への配慮に重点を置いた政策スタンスにシフトした」が、「八七年十月下旬以降、世界的な株価の急落(いわゆる「ブラック・マンデー」)とドル安が再燃したため、主要国との緊密な協調の下で為替相場の安定回復に務めた」。
ここでも、対外政策協調という「外因」があったので、N銀としてはやむを得なかったという思いが、言外ににじみ出る。
確かに内需拡大要請は内外から沸き上がっていた。
しかし、学者の通説は次のようになる。
「(内需主導の成長は)緊縮型の財政の下で、もっぱら(N銀の)超金融緩和によって追求された。
歴史的な低金利は資産価格のバブルを生み出す一つの要因になった」バブルの原因について、N銀はその後も明確な公式の評価を発表していない。
二○○○年十二月に、N銀金融研究所長の翁邦雄ら一人のエコノミストの連名による『資産価格バブルと金融政策二九八○年代後半の日本の経験とその教訓』という研究リポートが公表されたが、これも、「一人の個人的見解」の位置付けだ。
まだ金融政策の独立性を得ていなかったN銀にとってはやむをえなかったのかもしれないが、当時の経緯についての歴史的評価が定まった後も、なぜかN銀は公式には口ごもったままである。
「(バブル形成の)真犯人は法の枠の外で行われた信用統制(N銀の窓口指導)である。
N銀は信用統制によって不動産業界に回される新規資金の割り当てが増え、不動産価格を押し上げていることに気づいていた」、「問題は(N銀の)独立性が足りなかったのではなく、大きすぎたことにあった」との断定もある。
はないのだ。
Uは審議委員に就任する数年前に、学者としてN銀主催の国際会議で講演し、先のような指摘で「N銀の失敗」に言及した。
講演後、会場にいた当時の総裁のM康が寄ってきて、顔色一つ変えずその研究リポートでも、バブルの要因は複合的で、長期にわたった金融政策は、いくつかある要因の一つに過ぎないとなる。
それも主要ではない要因。
同リポートは、金融緩和が資産価格の上昇をもたらすメカニズムを次のように解明している。
@金融緩和が資金調達コストを引き下げたことで、投資家の投資ポジション形成を容易にしたA金融緩和も一因となって実現した株価上昇が資本コストを低下させ、エクイティファイナンスを容易にしたB地価や株価の上昇が企業の資産価値を高め、その担保価値増加を通じて資金調達能力を高めた。
しかし、結論的には「金融緩和のメカニズムだけでバブルが発生したとは考えられない」と限定している。
金融緩和はバブル発生の必要条件であったが、十分条件ではなかったとの論法だ。
バブルの時期も、N銀は金融政策の独立性を得ていなかった。
この時も政治・政府からN銀へ強い圧力があったのも事実だろう。
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